中島耕二ゼミ「ヘボンの手紙を読もう会」青山学院資料センターと青山霊園でのフィールド・ワークの実施 (ヘボン塾講座有志の会)

当ゼミは設立して5年が経ちましたが、その間、本学客員教授の中島耕二先生ご指導のもと、J.C.ヘボン博士、S.R.ブラウン博士、G.F.フルベッキ博士の各書簡集および伝記類の輪読と適時フィールド・ワークを実施してきました。新年度は、明治学院中興の祖のインブリー博士について学び始めております。

 今回は、4月19日(水)に中島先生と10名(ゼミ生OBなど2名を含む)のメンバーが参加した「青山学院資料センターと青山霊園」でのフィールド・ワークについて報告させていただきます。

 先ず「青山学院資料センター」を訪ねました。同センターは青山学院大学の青山キャンパス内の間島記念館にあり、1874年の創立から140年余にわたる青山学院の歴史資料の収集・保管・展示ほか、明治期キリスト教関係図書、本邦メソジスト教会関係資料などの収集・公開を行っていました。同展示ホールは広く、各資料が室ごとに整理・展示され、同センターの傳農和子氏の熱心なご説明も相まって良く理解できました。特に、アメリカの信徒や卒業生からの寄付金により取得した広大な青山キャンパスの土地や建物については、その御恩に報いるべく分かり易く展示してあり、母校愛醸成の原点との印象を持ちました。

同センターで1時間半にわたって学んだのち、同大学食堂で昼食をとりました。新学期のため新入生で満ち溢れており元気をいただきました。

 次に「青山霊園」に移動しました。同地は、旧美濃国郡上藩の藩主だった青山家の下屋敷跡地で、1874(明治7)年に東京府の管理のもと市民のための公共墓地となり、その後東京市に移管を経て現在は東京都所管の公営墓地となっています。総面積263,564平方メートル(約7万9千坪)、そのうち墓所面積128,019平方メートルと言われています。

今回は、この2年間学ばせていただいた明治学院創立者の一人のフルベッキ博士をはじめ、同霊園に眠る明治学院ゆかりの人々(14基)の墓参を致しました。

・フルベッキ夫妻〈アメリカ・オランダ改革教会宣教師、大学南校教頭、岩倉欧米使節団のきっかけとなった「ブリーフ・スケッチ」の作成者、明治学院教授〉

 ・シモンズ(アメリカ・オランダ教会宣教医、横浜十全病院設立者、福沢諭吉と親交)

 ・ノックス(アメリカ長老教会宣教師、明治学院教授)の息子

 ・マクラーレン(スコットランド一致長老教会宣教師、明治学院教授)の娘

 ・ランディス(アメリカ長老教会宣教師、明治学院教授)の息子

 ・アレキサンダー(アメリカ長老教会宣教師、明治学院教授)の娘

 ・マクネア夫妻(アメリカ長老教会宣教師、明治学院教授、明治学院ベースボールの父)

 ・井深梶之助(ブラウン塾生、東京一致神学校卒業、ユニオン神学校に留学、明治学院

第2代総理)

 ・吉原重俊(ブラウン塾生、アメリカでブラウン博士から受洗、日本銀行初代総裁)

 ・井深彦三郎(東京一致英和学校出身、井深梶之助弟、衆議院議員、井深八重の父)

 ・小川一真(築地大学校出身、写真家、帝室技芸員)

 ・中川愛咲(築地大学校・東京一致英和学校卒業、プリンストン大学などに留学、仙台医学専門学校教授)

 ・奥野昌綱(ヘボン、ブラウン両博士を助けて聖書翻訳、日本基督教会初代牧師)

 ・世良田 亮(海軍少将、明治学院理事、YMCA理事長)

なお、林董(ヘボン塾生、幕府派遣イギリス留学生、初代駐英大使、外務大臣、逓信大臣)の墓地を最後に訪ねたところ、特徴的な半円形の石碑が移動のうえ整地されていたため、全員衝撃を受け言葉が出ませんでした。

墓前で先生から配布戴いた資料により詳細にご説明をいただきました。これら先人達によって築かれた明治学院の歴史とその重さを改めて知らされ、私たちは感謝し今後何をなすべきかを自問自答しつつ、2時間半の墓参を終えました。

(世話人:海瀬春雄)

フルベッキ博士夫妻の墓前で

 「写真:フルベッキ博士夫妻の墓前で」