中島耕二ゼミ「ヘボンの手紙を読もう会」横浜プロテスタント史研究会例会に参加 (ヘボン塾講座有志の会)

当ゼミは、元本学客員教授の中島耕二先生のご指導のもと、2012年4月に活動を開始し、7年10か月が経過しました。その間、J.C.ヘボン博士、S.R.ブラウン博士、G.F.フルベッキ博士、W.インブリー博士、H.ルーミス博士、横浜の女性宣教師たち、J.H.バラ博士、T.T.アレキサンダー博士の各書簡集あるいは伝記類の輪読、フィールド・ワークの適宜な実施、朗読劇の上演、並びにキリスト教史学会大会、外国人居留地研究会全国大会など各研究会に随時参加しながら学習活動をしてきました。
1月からは、横浜指路教会教会史編纂委員会編『G・W・ノックス書簡集』(キリスト新聞社、2006年)を輪読しております。

今回はゼミの一環として、中島先生が発表された「横浜プロテスタント史研究会2020年2月例会(421回)」に、ゼミ生5名が参加したので報告させていただきます。

日 時:2020(令和2)年2月15日(土)14:00 ~ 16:00
場 所:横浜指路教会1階会議室
題  :「横浜指路教会第二代仮牧師 ジョージ・ウイリアム・ノックス」
講 師:中島耕二 横浜プロテスタント史研究会会員、元明治学院大学客員教授、東北大学 博士(文学)
参加者:約30名

中島先生はパワーポイントに基づき、配布された先生編集「同宣教師年表」と『福音新報』(抜粋)なども参照しながら説明をされましたが、ここでは項目(はじめに、本論、むすび)を抜粋し、その骨子をご報告いたします。
なお、発表後多くの質疑応答がありましたが、ここでは省略いたします。

(はじめに)
G・W・ノックス宣教師は、1853年8月11日にアメリカ・ニューヨーク州ロームで生まれた。祖父は成功した実業家・銀行家、父は長老教会の有力牧師であった。ハミルトン大学(当時、祖父が理事長)、オーバン神学校で学び、1877年に同校を卒業と同時にMiss Anna Caroline Holmes(1851~1942)と結婚し、按手礼を受領のうえ日本派遣宣教師となって同年9月29日にサンフランシスコ港を出航した。

(本論)
在日宣教師時代(1)
 ・1877年10月20日 ノックス夫妻横浜到着 横浜居留地39番居住
 ・1877年~1880年 横浜バラ学校教師
 ・1877年~1881年 住吉町教会仮牧師
 ・1881年~1882年 築地大学校英語教授 築地居留地27番居住
 ・1883年~1886年 東京一致神学校英語神学部教授 説教学、基督教証拠論
 ・1883年 朝鮮人最初のプロテスタント信者となった李樹廷を指導、韓国視察旅行
 ・1883年11月30日 ミラー夫妻と高知伝道
 ・1884年3月13日 ブライアン夫妻と高知伝道
 ・1885年5月15日 高知教会設立式洗礼執行 片岡健吉、坂本直寛、原保太郎、西森拙三ら男子7名、女子6名に授洗

在日宣教師時代(2)
 ・1886年 帝国大学哲学、倫理学および心理学講師
 ・1886年 明治学院創立理事会議長、白金校地決定に賛成意見
 ・1887年 明治学院神学部教授 論理学、組織神学、哲学史を担当
 ・1889年 第一回夏期学校(同志社)講演「三位一体の説」、「生命の説」
 ・1890年 第二回夏期学校(明治学院)講演「贖罪論」、「現今の神学」
 ・1890年5月17日 一高対明治学院野球試合観戦中「インブリー事件」に立ち会う
 ・1891年 明治学院理事員会代表
 ・1893年 高知大挙伝道参加、6月19日宣教師を辞任しアメリカに帰国

アメリカ帰国後
 ・1893年6月19日 横浜出航、アメリカ帰国
 ・1894年12月 ニューヨーク州Ray Presbyterian Church仮牧師
 ・1895年12月 同教会牧師
 ・1896年 ユニオン神学校講師、弁証論担当
 ・1899年2月 Ray教会牧師辞任
 ・同年ユニオン神学校教授、哲学・宗教史・海外伝道担当
 ・1903年 Yale大学講師兼任
 ・1906年 ユニオン神学校校長代行
 ・1911年11月 神学校主催東洋伝道地視察旅行出発
 ・1912年4月25日 ソウル、朝鮮で肺炎となり客死

(むすび)
G・W・ノックスは来日早々住吉町教会(現横浜指路教会)の第二代仮牧師に就任した。また、横浜バラ学校(ヘボン塾の後身)、築地大学校(横浜バラ学校を改称)、東京一致神学校(明治学院の前身)で教師・教授をつとめ、その後は明治学院神学部の看板教授の一人として活躍した。さらに、高知伝道には特に積極的であり、後に衆議院議長や同志社総長となった片岡健吉や著名な牧師となった坂本直寛などを含め13名に洗礼を授けた。1888(明治21)年に日本での宣教事業の功績に対しPrinceton大学から神学博士号の学位を贈られた。その後日本での15年間の伝道を終え、1893(明治26)年6月に帰国した。
アメリカに帰国後は、ニューヨーク州Ray Presbyterian Church牧師に就任するとともに、ユニオン神学校講師・教授・校長代行、Yale大学講師として、弁証論、哲学、宗教史、海外伝道などを講じた。こうした研究の蓄積は日本伝道を通じて得られたものであった。それらが評価されてHobart大学から法学博士号、Wesleyan大学およびYale大学から神学博士号を受領した。さらには、在日宣教師時代において日露戦争時の日本への言論協力が評価されて1908年に日本政府から「勲四等旭日小綬章」が贈られた。その後、1912(明治45)にユニオン神学校主催東洋伝道地視察旅行に参加し、インド、中国の視察を終えてソウル(朝鮮)で肺炎になり同年4月25日に客死した。享年59歳であった。日本政府は同宣教師の死去後の5月に「勲三等瑞宝章」を追贈した。その後6月にニューヨーク州Knoxboro Cemetryに埋葬された。

《同例会に参加して思ったこと、感じたこと》
G・W・ノックス宣教師(博士)は、ヘボン博士、ブラウン博士およびフルベッキ博士などと比較すると世に知られておらず、今回同例会に参加して同博士の全体像を知ることができ、改めてその偉大な働きを認識しました。例えば、日露戦争時に日本に言論協力をしたことにより日本政府から「勲四等旭日小綬章」を贈られ、さらには「勲三等瑞宝章」を追贈されるなど、如何にその貢献度が大であったかがわかります。また、明治学院創立理事会議長として白金校地決定にリーダーシップを発揮すると共に、個人として現在歴史的建造物になっている明治学院記念館(旧神学部校舎)建設に大口の寄付をされていることを知り、感謝の念を強く抱きました。
なお、いつも投稿記事で言及していることですが、このような貴重な発表内容は明治学院の財産であり、僭越ですが当学院としても同様な企画・開催をされることを強く希望いたします。
最後になりましたが、この機会を得、中島耕二先生並びに横浜プロテスタント史研究会の世話人である岡部一興先生に深く感謝申し上げます。誠にありがとうございました。

(追記)
同例会が開催される同日午前に、「ヘボン博士横浜山手245番旧宅跡」を訪ねました。訪問の目的は、同地に介護付き有料老人ホームが建設中との中島先生からの情報に基づき、ヘボン顕彰会が同博士を顕彰するために建てられた記念碑が現在も保存されているかを確認するためでした。
同地は、博士ご夫妻が1876(明治9)年3月から1881(明治14)年4月まで、および1883(明治16)5月から1892(明治25)年10月までの通算約14年間居住された土地であります。その間、博士は旧約聖書翻訳社中の委員長としてその完訳まで務め、さらには明治学院総理として高齢にも拘わらず白金に通勤された記念すべき土地であるため、同顕彰会はその跡地である日本銀行家族寮の門の脇に記念碑を建てられました。しかし、2015年10月24日(土)に当ゼミのフィールド・ワークとして同地を訪問した時は、同家族寮は閉鎖状態にあり、記念碑の保存が課題であることを認識した経緯があります。(参照:当HP「校友団体情報」欄での2015年10月30日付け投稿記事)
同地に到着し確認すると、同老人ホームは建物および外構も既に完成しており、心配していた旧門と一体となった記念碑はそのままの状態で保存されていました。建築主や関係者の皆様に感謝するとともに、安心した次第です。
上記状況について、中島先生から例会に参加された皆様に経緯を含め説明し、併せてカメラに収めた記念碑の映像も回覧し、安堵の感想をいただきました。
(世話人:海瀬春雄)

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(現在の横浜指路教会)

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(ヘボン博士記念顕彰碑 横浜山手245番旧宅跡)