中島耕二ゼミ「ヘボンの手紙を読もう会」フィールド・ワーク「ヘボン博士記念碑」清掃奉仕の実施 (ヘボン塾講座有志の会)

当ゼミ2015年度後期は、新たにゼミ生2名が加わり心を新たにしてスタートしました。ヘボン博士生誕200年を記念して10月24日(土)に実施された「ヘボン博士記念碑」清掃奉仕については、当ゼミもフィールド・ワークの一環として参加しましたのでご報告します。

ヘボン博士は、1859(安政6)年10月にアメリカ長老教会宣教医としてクララ夫人とともに来日し、神奈川成仏寺に3年仮寓したあと1862(文久2)年12月に横浜居留地に転居され、1875(明治8)年9月までの約13年間お住まいになられました。そのヘボン博士邸跡地には、同博士の多くの功績を称え、1949(昭和24)年10月に建立された「ヘボン博士記念碑」があります。ヘボン顕彰会はその清掃奉仕を毎年主催され本年は第14回にあたります。当ゼミも中島耕二先生をはじめ8名が参加させていただきました。
同博士は、この地で無料医療奉仕と医学生教育、聖書翻訳、日本最初の本格的和英・英和辞典『和英語林集成』の刊行、その辞書に使用した「ヘボン式ローマ字」 の考案をされました。クララ夫人も成仏寺時代に始めていた英学塾「ヘボン塾」を1863(文久3)年の秋口にこの地で再開されました。後に日銀総裁・総理大臣になった高橋是清や初代英国大使・外務大臣になった林董など、多数の男女生徒が学びました。
私たちゼミ生は、ヘボン塾が現在の明治学院に発展したことなどに思いを巡らしながら、プレート磨き、除草、パンジーの花の苗植え付けなどに勤めました。参加者21名全員は、ヘボン顕彰会会長の阿部志郎先生からの感謝の言葉を拝聴のうえ、讃美歌(1874年「教の歌」11番 奥野昌綱・H.ルーミス編「エス あいす」)を合唱し、ヘボン博士ご夫妻への感謝を胸に散会しました。(世話人:海瀬春雄)
写真:清掃後の「ヘボン博士記念碑」

写真:清掃後の「ヘボン博士記念碑」