明治学院研究フィールドワーク築地訪問の報告その2 (ヘボン塾講座有志の会)

また築地居留地の歴史を辿れば、1858年江戸幕府は日米修好通商条約を締結して、江戸・大阪の開市と開港(神奈川・長崎・兵庫・函館・新潟)を取り決めました。
この江戸(東京)の開市は1868年明治元年、明治政府になってから、この条約に基づき、築地居留地を定め、外国人の居住や通商のための専用特別区としました。
商館の多かった横浜・神戸とは異なり、外国公使館・領事館・教会堂があり、海外の宣教師・医師・教師などの知識人が当時居住し、教会や学校などを数多く開設し教育を行いました。それで数多くのミッションスクールの発祥の地となりました。
この築地居留地は日本の近代化に大きな影響を与えました。1899年明治32年まで、この条約は続きました。
(1974年卒・美浪記)