当ゼミは、本学元客員教授の中島耕二先生のご指導のもと、設立して8年を迎えました。その間、J.C.ヘボン博士、S.R.ブラウン博士、G.F.フルベッキ博士、W.インブリー博士、H.ルーミス博士、横浜の女性宣教師たち、J.H.バラ博士の各書簡集あるいは伝記類の輪読、フィールド・ワークの適宜な実施、朗読劇の上演、各研究会に随時参加など活動をしてきました。現在は、T.T.アレキサンダー博士の曾孫のジョアンナ・シェルトン著『わたしの家族の明治日本』(文藝春秋、2018年)を輪読しています。
この度、東京ヘボンクラブ主催のバス旅行「世界遺産 富岡製糸場 & フルベッキゆかりの甘楽教会」に、ゼミ生4名がフィールド・ワークの一環として参加したので報告させていただきます。
主 催:東京ヘボンクラブ
日 時:2019年(令和元)年5月16日(木)9:00 ~ 18:30
行 程:東京駅 → 高坂SA(休憩)→ 富岡IC → 昼食 → 富岡製糸場(見学)→ 甘楽教会(見学・中島先生による小講演)
→ こんにゃくパーク (試食・土産品購入)→ 富岡IC → 三芳PA(休憩)→ 東京駅
参加者:29名
ここでは、東京ヘボンクラブの顧問でもあります中島先生が、甘楽教会において講演した内容「フルベッキ宣教師(博士)の生涯」について、その骨子を報告いたします。
甘楽教会は、「新島襄が設立に関わった安中教会信徒の伝道をきっかけとして、1884年の甘楽第一基督教会が設立されたのが始まり」である、といただいたパンフレットに記載されている。いわゆる「組合派(会衆派)」の流れを汲んでいるが、1941年のプロテスタント33教派 が合同したことにより、現在は日本基督教団の教会となっている。設立当時の教会堂は富岡製糸場前にあったが、現教会堂は二代目に当たる。
中島耕二編「フルベッキ宣教師の活動・居住地履歴から見る(Japan Directory を中心に調査」(2019年1月1日)について、同資料を配布のうえ説明されたが、その内容を踏まえて概略を以下紹介いたします。
フルベッキは、1830年1月23日にオランダ・ザイストで誕生し、22歳の時にニューヨーク州オーバン市に住んでいた姉夫婦を頼り渡米した。その後、ウィスコンシン州でのタンク鋳物工場(造船部品)やアーカンソー州で土木機械技師の仕事に携わった。
しかし、土木工事は激務であり猛暑が重なり体調を崩し、コレラに罹ってしまう。病床で少年時代に聞いたカール・ギュツラフの講演を思い出し、もし病気が癒えたなら海外伝道のために献身したいと祈った。この祈りが通じて、病気は奇跡的に治った。そこで技師の仕事をやめて、1856年9月にニューヨーク州にある長老教会のオーバン神学校に入学した。
この地で、オワスコ・アウトレットのサンド・ビーチ改革教会の牧師を務めるS.R.ブラウン牧師と出会い、教会の手伝いをすることになった。
1859年3月に同神学校の卒業を控え、ブラウンがフルベッキを日本派遣宣教師としてオランダ改革教会海外伝道局に推薦して、その結果、同海外伝道局がフルベッキを宣教師に任命した。4月18日には サンド・ビーチ教会で出会ったマリア・マニヨンとフィラデルフィアで結婚式を挙げ、そのわずか19日後の5月7日に「サープライズ号」でブラウンおよびシモンズ一家と共に日本に向けてニューヨークを出航した。上海に寄港した後、ブラウンとシモンズは先に神奈川に上陸し、フルベッキは1859年11月7日に長崎に上陸した。
その後長崎で、伝道と共に済美館(幕府所管の洋学校、1864年~)と長崎致遠館(佐賀藩洋学校、1868年~)においては英語だけでなく、政治や経済など西洋の近代科学についても教授した。その教え子の中には、後に明治期において活躍した大隈重信、副島種臣など多くの人材が含まれていた。
1869(明治2)年に明治政府に雇われ、日本の近代化政策、特に近代教育の礎を築き、引き続き元老院顧問を務め、その功績を認められ、1877(明治10)年に政府より勲三等旭日中綬章を授与された。
その後、政府の仕事から離れ東京一致神学校講師や華族学校教師、明治学院邦語神学部教授などに就任しながら、本来の使命である宣教師活動を再開し、信州ほか全国に亘る地方の開拓伝道に全力を傾けた。しかし、1898(明治31)年3月10日に赤坂区葵町の自宅で心臓麻痺のために急逝した。享年68歳であった。
中島先生の小講演は、フルベッキ宣教師(博士)は1885(明治18)年以降亡くなるまで13年間、夫人が子育ての為アメリカに在住し、別居状態という犠牲のうえに日本宣教の活動をされており、その恩恵を受けた明治学院や祝福をいただいた各地伝道先などは深く感謝しなければならない、と結ばれた。
甘楽教会礼拝堂に飾られている同宣教師(博士)の書「God is Love」(新約聖書ヨハネ第一の手紙4章16節の言葉)は、同宣教師(博士)が信州伝道の際に佐久でお世話になった岡部家から依頼されて揮毫したものである。岡部家の長男 岡部太郎氏は、その後同志社神学校に進学し、卒業後は当教会の2代目牧師として就任し長く奉仕された。そうした経緯から同書が岡部家から甘楽教会に寄贈され、今日我々が目にする栄に浴することが出来るようになった。
《バス旅行に参加して思ったこと、感じたこと》
参加者は、名簿から推定すると最高齢者は94歳、最年少者は46歳、中心年齢(N値)は70歳前後と思われ、幅広い年齢層から構成されていました。皆様は非常にお元気で勉強熱心な紳士・淑女の集まりであると感じました。これもヘボン博士が96歳まで長生きをされ、探求心旺盛な宣教医でしたので、それらを目標にされているのではないか、と自己紹介の際にふと思ったりもしました。また、中島先生の講演による「フルベッキ宣教師(博士)の生涯」を拝聴し、さらに「God is Love」の実物も拝見し、改めて同宣教師(博士)への畏敬の念を強く抱きました。
最後になりましたが、この機会を得、中島先生並びに東京ヘボンクラブの皆様に深く感謝申し上げます。誠にありがとうございました。
(世話人:海瀬春雄)
(写真:甘楽教会)
(写真:フルベッキ宣教師(博士)の書)