2014年12月12日クリスマス礼拝 (MESA68-みんなにまた逢える会-)

明治学院は2013年創立150周年を迎えました。卒業生はクリスマス礼拝に参加して母校の想いを新たにし同窓生と旧交を深める機会に毎年恵まれています。
明治学院礼拝堂の巡歴
1859年10月18日ヘボン博士ご夫妻が神奈川県に上陸、「成佛寺」に住居を構える。この頃はキリスト教の布教が認められておらず、ヘボン博士は宣教医 として活動している。同時に、英語・日本語辞書の編纂に取り組み語彙を取集する毎日を送っている。この努力は1867年「和英語林集成」として結実する。 1861年に教師経験のあるクララ夫人が英語を教え始め、1863年秋には英学塾を開いた。明治学院英語教育のグラス‐ルート(grass-root草の 根)であり、明治学院で英語を学んだ我々は彼らのDNAを継承していると理解している。生徒数が増えると、ヘボン博士や宣教師仲間も協力し地理や聖書など 教科も増えてきている。これが明治学院の根源“ヘボン塾”である。クリスマスには日本人と居留地の外国人の子供たちが一緒に賛美歌を歌い楽しく過ごしたと いう。1880(明治13)年「ヘボン塾」が横浜外国人居住地から築地外国人居住地へ移転する。1886(明治19)年にはウィリアム・インブリー (William Imbrie)牧師が中心的な役割をはたし、東京一致神学校、東京一致英和学校、英和予備校を統合し、“明治学院”が設立され、明治学院発祥の地とされて いる。白金に移転した学院では本格的な礼拝堂は建設されておらず、「サダム館」と「ヘボン館」が講堂献礼拝堂として建設される。島崎藤村はこのヘボン館に 寄宿生として学生生活を送っている。学院は西洋風の建築が並びミッションスクールの様子を整え始める。

高輪台協会木村熊二牧師、明治学院教授
木村熊二は大儀見元一郎と共に1870(明治3)年「森有礼」率いる米国訪問使節団に随行している。今日の明治学院の提携校であるHOPE Collegeに入学・卒業し、New Brunswick神学校で学び牧師になり、1882(明治15年)に帰国している。1888年6月17日、島崎藤村は木村熊二牧師によりこの高輪台教会 で受礼している。
礼拝堂の建設
明治学院の礼拝専用施設は1903(明治36)年に建設した「ミラー礼拝堂」に遡る。しかし、同年に東京を襲った地震で被害を受け反損し、更に、2年後の 1905年にも地震の影響を受け全壊している。サダム館を礼拝の場として使用していたが、1914(大正3)年に消失し、明治学院は礼拝の場を失う。新し い礼拝堂の建築は1916(大正5)年3月27日にミラー礼拝堂の廃材も使用し建築される。今日私たちが礼拝に参加している礼拝堂の原型である。-
2014年12月12日 クリスマス礼拝
2014(平成16)年12月12日、礼拝堂でクリスマス礼拝が行われ、MESA68-みんなにまた逢える-から10名が参加している。学長の鵜殿先生の クリスマス・メッセイジを拝聴し、そしてメッセイジは学院礼拝堂より全世界に発信されている。我々は讃美歌、「きよしこの夜」「もろびとこぞりて」を共に 歌いキリストの降誕(誕生)を祝ったのでした。この日の活動は、礼拝堂での記念写真に続き、目黒駅ビル内の「TO THE HERBS」にてクリスマス・パーティーを開催し、クリスマス・コスチュウムを装い、持ちよったクリスマス・プレゼントを交換し、クリスマス・キャロルの CDが参加者に配布されました。願いは、参加者が12月25日の降誕(誕生)日に同じクリスマス・キャロルを聞きクリスマスを迎えられることであった。

MESA68-みんなにまた逢える会- について

MESA68-みんなにまた逢える-は1968年に入学し、MESAに入部した卒業生が42年ぶりに再会を果たした同期会である。同期会通知80通を発送し、40通が宛先不明にて送り戻されたが、40名の旧友に連絡ができたのは感慨無量である。2014年10月に同期会の第一回を開催した。参加者は31名であった。「夏休み」後にGreen HallでMESA部員に出会ったのと同じような感激であった。感激の大きさは42倍であった。 世話人 鈴木 政夫 72年経済学部・商学科卒